日々の気まぐれ日記とたまに戯言+趣味娯楽やら癒しやらなんやら
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久々に時事雑記でございますm(_ _)m

自分の今の職場は靖国神社からわりと近い場所のため、昨日は
外が街宣車と警察で騒がしい光景が広がっておりました。

ちなみに、8月6日と9日も街宣車は来ていたようです。

こうして終戦から68年という月日でも、毎年靖国神社に参拝に来る人がたくさんいて、こういった光景があるというのはある意味すごいような気もしてきます。
(街宣車についてはただ騒がしくしているだけ・・・とも言えますが)


ということで1日遅れですが、終戦記念日に思ったことをつらつらと。


とある番組を昨日見ていました。

終戦記念日特集として放送していましたが、特集は終戦後にロシア(当時のソ連)に捕虜として囚われの身となった日本人達のお話でした。


開戦~戦時中~原爆~終戦
この流れは国内的に日本の歴史としてしっかり刻まれているものですが、戦争を知らない世代としては、
終戦後は目ざましい再生と復興を遂げてきた時代。
そんな印象。


終戦後に何十万人という日本人が戦地からソ連の捕虜として10年も帰国出来なかったという事実があったことを番組を見て初めて知りまして。

そんな人達が何十万人も?
昨日はソ連の話でしたが、もしかして他の国でも似たようなことがあったりしたのだろうか?

今までも戦地より帰るに帰れずそのままその国に残っている人や終戦を知らないまま10年以上も戦争が続いていると信じて異国の地で息を潜めていた人の話などは見たことがあります。

とはいえ、何十万人という人が10年も捕虜になっていた話は正直びっくりしました。

冬は極寒となる地で1日10時間以上の過酷労働と貧しい食事・・・
何人の人が亡くなったかは言っていませんでしたが、きっと数え切れないぐらいだったのではないだろうか。。

国内でのめざましい復興の裏で未だ母国に戻れない人達がそんなにいたとは。

捕虜となってソ連に残った人達は日本語で何か書こうものならスパイ行為とみなされ、ひどい目にあわされたそうです。

牢獄に入るようなことはしていないはずなのに、有無を言わさず牢獄に入れられる日本人・・・しかも日本が負けると分かった終戦直前にアメリカに寝返ったらしいソ連の軍に。
ソ連が非難されるのはこういった理由もあったのか・・・


こういった番組を通して、半世紀以上前にあったことが現代からは想像出来ないどれだけの深い傷を負ってしまったことだったかを改めて思います。


終戦という形で日本から戦争はなくなったものの、原爆の後遺症で亡くなった人も戦地から戻れずそのまま無念に亡くなった人も、それ以外にも様々な戦争の爪跡で苦しむ人も裏にはたくさん存在していて、テレビのインタビューで「戦争は本当に終わったわけではない」と訴えかける人の思いも少し分かる気がしました。。


戦争経験のない若い人達が戦争を語り継いでいかなければいけない時代になって、自分も表面上の太平洋戦争だけでなく、その周りでどういったことがあってどういった人達が犠牲になったかを少しは詳しく知るべきだと思った終戦記念日でございました。


環境の平和も心の平和も必要な時代ですしね・・・。



・・・とまあ少しはそんなことを積極的に考えられる大人になった自分でしょうか。

こちらのカテゴリーはものすごく久々なのですが、というより昨年は全然書いていない気もするのですが・・・

今年は時事社会(時には政治?経済?)のことで持論ではありますが、思うがままにつづっていこうかと思っております!!

と、1月に書いておけばきっと1年を通してちょいちょい書けるはず・・・(と、思いたい 笑)


- - - - - - - - - - -

先日、電車の中吊り広告で「1.17から3.11へ」という記述を見たのが印象に残っています。


今年の1/17で阪神淡路大震災から18年とのことでした。

18年・・・数字で見るとそんなに経ったのか!と思いますが、今年成人を迎えた人達でさえ物心がついていないほど前の出来事ということになるのかと。

もちろん実際被災者となった方々やその家族や遺族の方々にとっては、何年経とうがその日が来てもそうでなくともフラッシュバックで苦しんだり、思い出しては悲しみや複雑な心境になるのだと思う。

しかし被災者となっていない多くの人達にとってはやはり風化というのは否めない。

そうして1年に1度、テレビや記事で震災の追悼の様子が伝えられるのを見ると改めてあの時は・・・となんとなく思い出す。
そして自分もその多くの中の1人となっている。

18年前は中学生だった自分だが、よその地方で起こっているとはいえ今まで歴史としてでしか耳にすることのなかった"大震災"というものの悲惨な状況を見て愕然とした気持ちになったのは覚えている。

そんな風化しつつある状況の中で、風化させるなという自然の警告かとも言わんばかりに一昨年の3.11が起きたのかと思ったりもする。

特に東日本大震災は津波という2次被害どころか、原発という3次被害とさらに水をかけるような復興の遅さが原因で苦しみをかかえて亡くなっていく人がいる4次被害まで引き起こしている。

何も出来ない一般人だからというのもあるのか、それについては憤りを感じる時もある。


そしてその東日本大震災からまだ2年弱だというのに、テレビやネットや新聞などでもその報道の枠が小さくなっていくことで、すでに風化を感じさせてしまう状況になっているのも事実だと思う。


被害の大きさと復興の速度で比べるなら明らかに東日本大震災が最近の出来事であって、被災者の数も多く復興もままならない状況だが、被災者や当事者や関係者にとって震災という苦しみを抱えてしまったことに変わりがないというのが、冒頭の広告に現れていると個人的に思ったのである。


そして被災者でなくとも忘れてはならない自然災害だということを刻んでほしいというメッセージのようなものも広告にはあるのかと。


阪神淡路大震災の時はバブルがはじけて数年後。
東日本大震災の時はリーマンショックから数年後。

2つの大震災の間に新潟の地震もありました。

個人的には、何故この不景気まっしぐらの時に追い討ちをかけるのだろう・・・と自然に対して不満に思ってしまう。


色々と不利なこの世の中の状況の中で、今後自分も含めて被災者以外の多くの人達が忘れてはならないことを風化させずに過ごしていけるかという社会全体の課題・・・。


とりあえず、自分はこうして持論をつづっていくことで震災に関しての自分自身の認識を改めて持ち直すという方法をとっていこうと思っております。。
(結局勝手気ままに書くことしか出来ずなんなのですが;)


最近のこの問題・・・正直見ているとイライラすることが多いもので・・・。

総理の退陣時期どうのこうの批判する与党やら野党やら・・・そこに力を注いでいる政治家達が馬鹿馬鹿しくてしょうがない。

連立どうのこうので話を大きくしていること自体一国民としては正直馬鹿馬鹿しくてしょうがない。

誰もが思っていることですが、総理退陣時期や連立どうのなんて馬鹿馬鹿しいことを問題にする前に義援金がどうしたら平等に弊害なく被災者に行き渡るかを問題にしたらいかがですか?

政治家同志の足の引っ張り合いをする時間があるなら、復興の具体策を練る時間にあてたらいかがですか?

と、永田町で言いたい・・・。

正直政治体制や総理が誰などどうでもよい。
今の国難で生活を狂わされてしまった人達にやるべきことを速攻できちんとできるのであれば・・・。

個人的には、退陣の時期を考えるぐらいなら、やるべきことをやってから考えてください・・・という感じなのですがね。。


政治の事情が分からないので、偉そうなこと書いても・・・な立場ですが、何故政府には被災地へボランティアに行く人がいないのでしょうか?そうは出来ない事情があるのか、自分達にそんなことをする暇はないとでも言うのか・・・。


日々のニュースを見るとそんな風にしか思えないもので・・・。


今の現状をなんとかしてくれ、と散々震災と原発の被災者が訴えているというのに、この永田町のまごまごさは何なんだ!!

どう考えても二の次でよいことに今全力を注いでいる意味が分からない。

なんというか、もっとパッとシャッとスッと動けるお国の人はいないのか・・・いないか・・・。


無駄な話し合いに無駄に時間ばかりかけて、誰のためにも何のためにもなっていない。と、思っている一国民なのです。。

(あ、なんだかただの政府への愚痴になってしまった・・・・)

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